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この時期の食事、本当に日々を生きるための食事だな陳腐な感想だけどうまいもんを手軽に食える時代に感謝……
お手を合わせて、合掌…
なんでも当たり前じゃないよねとにかく=感謝=だよね
いや今でも食べれないんすよ
これ、あくまでも戦争末期とか敗戦後だからな。
食事が美味しいって幸せだな
「この世界の片隅に」の再現レシピですね当時の方々の苦労がみてとれます
ご先祖さまに感謝。大変な時代を生き抜いて、ここまで日本を復興させてきた。
@@user_ca_mistアメリカは他国に核落としたのに……
大正昭和1桁生まれを「ご先祖様」扱いは違和感しかない。
いろんな時代を乗り越えてきたけど地球は終わります。
まず人類がな
復興→高度経済成長→バブル崩壊→失われた30年→衰退と治安崩壊(今ココ)
あえて低画質なところにこだわりを感じられます「今日なに食べよっかな~」と悩むのが出来る事に感謝したくなりますね
物が少ないなか、少しでも美味いものを苦労されたレシピだと思います。それを否定することなく、カロリーとレパートリーの少なさに言及する構成がとても誠実だと思いました。
終戦当時30代だった祖母(都内出身)が度々話していましたが、昭和20年は戦前戦後問わず、「飯を炊こうにも燃料がないので常にトロ火だったので生焼け生煮えだった」「麦飯すらぜいたく品」「黍やイモばかりでイモも甘くない品種」「イモすらなくてイモ殻が主食の時が半分以上」「煮干しや鰹節も入手できず塩で汁を作っていた」そうです。昭和21年後半期になると多少マシになってきたとか。
うちの田舎のおばあちゃんは実家が農家で、「戦争の時は家で育ててた鶏が毎週のように食卓に上がってたから、今でも鶏が苦手」っていってたから、何でも食べ過ぎると苦手になるんだろうな。きっと。
@@イワシの埋葬当時の凄惨な思い出も相まっての嫌だろうからただただ食べ過ぎたから嫌とはまた程度が違うでしょうね。
当時は家で鶏絞めてたからって言うのもあるのかな。。うちの母、子どもの頃祖父が飼ってる鶏を生きたまま首落としてたのを見させられて、羽をむしるのを手伝わせられてたから鶏は食べられないと言いいます。
@@イワシの埋葬都会から見ると無茶苦茶贅沢なんだろうけど、いざ毎日となるとつらいのかも。それとすでに書かれているように、農家の場合育てていた鳥だろうから、別の意味で抵抗あったのかもね。
私の祖父母がまさにこれ!空襲後千葉に歩いて逃げて、当時祖父が勤めていた会社が100軒の木造平屋を建てたとこに入れた。地元の農家の人に物々交換で分けてもらったことはよくあって、幼稚園児くらいだった父はいつもくっついていっていたらしい。たまに味噌焼きおにぎりをくれることがあって、最高に美味しかったと父は言ってます。口に入る物があるだけマシな時代ですね。不忍池で祖父と父でおにぎりを食べていたら、当時のホームレスの方達にちょっと離れた所から、ずーっとガン見されてて怖かった話もしてます。
げんさんの再現動画シリーズは、教材や研究レポートとして提出できると思えるくらい貴重な努力の賜物ものだと思う。
これを見ると当時は食事を楽しむというより限られた食料でなんとかカロリーを摂取するための作業だったのかなと思った。
戦時中の食事情を探る本をいくらか読みましたが、野草すら取り尽くすような状況でも食べられる程度に味をよくしようという工夫はなされていました。ですから、食い繋ぐというのは当然として、満腹感や味は追求されていたと思います。そうでなければわざわざ煎ったりしないとおもいます。その時と比べるとこの動画の食事では味噌や煮干しがあるので、もしかすると相対的に相当美味しく感じていたのかもしれません。悲惨であったことには変わりませんが。ところで、配給物資が砂糖に偏っていたので砂糖をどうにか食事にしようという試みもあったようです
ゴミの混ざった残飯を煮込んだ物を食えれば御の字の時もありますからね。餓死者も大量に出たそうですから。
多分、当時で食を楽しむなんて言ったら殴られると思うよ…こんなに食べれるのは裕福なとこだけで、他の人は以下だからね…
ダイエット中で食べる度に「太るかなー」とか思って食事を楽しんでなかったけど、平和な現代に感謝して美味しく頂こうと思いました...
多様な商品を手持ちのお金ですぐ買える、それを明るい部屋で、盗られる心配も無く温かい物を食べれるお腹いっぱい食べれるこの当たり前が無かったほんの過去の時代もうね…私達はこの当たり前を守っていかないといけないね。繰り返しちゃいけない歴史だ…。泣いて苦しい時代を過ごしてきた方々の努力を無下にしちゃダメだ。この動画でものすごく痛感した。
ありがとうございます。終戦記念日にまた観たいです。
全ての食べ物を生産してくださっている方々に感謝しつつ、最近は特に日本の食料自給率が心配…
不味いんだろうけど、どんな所でも育つ芋くんの功績たるや…
薩摩芋普及させた青木昆陽先生にも感謝
@@gtsorzサンキュー青木
@@miengelion後の世にこんなにゆる〜く感謝されるとは昆陽先生も思わなかっただろうな
あおきんありがと
@@ntakeuti2187しかも敵国の言葉でな
俺「晩飯どーすっかなー、uberでいいか、待ってる間youtubeでも見よ。」冒頭三分で何とも言えない感情になる。今日はしっかりいただきます、ごちそうさまを言おうと思った。
これから毎日言うんやで
あらら、毎日Uber頼んでそうな無駄遣いおじさんかな。
母方祖父はさつまいも嫌い、父方祖父の口癖は「梅干しあればおかずいらない」でした。こういうことなんだと思います。
私の母親が終戦後生まれです。梅干し、漬物。これがあればメシ食える世代です。どんなおかずの日でも漬物や梅干し食べますw
@@最強人物かあ
しかもさつまいもは今みたいに甘くなかっただろうしね。
大正3年生まれの亡き祖父は、今のサツマイモは甘いなぁってしみじみ蒸かしただけのサツマイモを食べてましたね。中の色も味も触感も別物らしいです。
@Lachia-xi4ep その時代は日本全土でみんな耐えていた時代ですかね。祖父はすいとんを嫌ってました。散々小麦粉食べたから。私が平成の時代に作ったのはこれは美味しいって、また別物扱いしてましたね。材料も調味料も碌な物が無い時代の記憶は少しだけ上書きされたかもしれません。
戦争経験者のばあちゃんは頑なにサツマイモは食べなかったよっぽど嫌な思い出があったんだろうなあそんで甘いものが大好きでばあちゃんのおでんは甘かったそんで俺等孫どもには食え食え食えっていろいろ食わせてきた
そう!戦争体験した世代の味付けってめっちゃ甘いんだよね。これでもかっていうくらい砂糖をぶち込む。甘いものが正義だったんだろうな。
死んだ爺ちゃんの作る大量のザラメが入った卵焼き好きだったなぁ
@@to0606-s4iお前は砂糖食わないの?
実家では毎年終戦の日に醤油味のすいとんを必ず食べます。今でこそ出汁も具もありますが祖母の時代は水と菜葉と川で取れた雑魚と茶色い小麦粉だけで作っていたそうな
そういえば,小学校のときに終戦記念日は戦後の給食っていってすいとんと質素なおかずだけだったな。当時は長野県に住んでいたから,8月の中旬で夏休みが終わってたんだよな…
映画”この世界の片隅に”や参考元のNHKの記録資料で見ましたね。煮干しやコメ、麦の質は相当進歩してるので当時のそれはなかなかのお味だったでしょうね.....
あと、、ホタルの墓やね米を食べるためにきれいな服を売ってそこからは、、、カエルも食べるために輸入したという
@@番田那珂たまさんウシガエルが輸入されたし、アメリカザリガニも食用として輸入されましたね。
白米を食べられる今に感謝
だが玄米を好んで(健康の為に)食べる人も増えてる
昔は白米の代わりの為に食べてた玄米の方が白米よりずっと高価という皮肉。
白米が当たり前になると今度は麦飯や雑穀に価値を見出すってのは当時の人達が聞いたらびっくりするだろうな
@@七田谷まあ麦や玄米で脚気の予防ができると分かったのは戦後くらいからだったはず
人によってはこれでも大ご馳走なんだろうな。。。
そうですね羨ましい限りです
親戚や介護のじじばばが兄弟も多くてご飯が食べれるのが幸せって言ってたのは本当なんやな…
@@にょすこり2万じゃ足りないです
今じゃ捨てるほどあるからね
このチャンネルは本当に勉強になる娯楽として見ているRUclipsで改めて「いただきます」意味を再認識させてもらい、野菜の皮や端材もおいしく食べようと改めて考えさせてもらえる動画ですね
服装もそれっぽくくたびれたシャツなの細かくて好き
筋肉なくて肉付き良すぎだけどねw
そのうち赤紙がきそう
そのうち赤い紙が届きそう
@@月野雫-y4q わかったよ
ありがとうございます!
亡くなった祖父が芋嫌ってたのを思い出した味の良し悪しとかの問題でなく、戦後しばらくは見るのも嫌になるほど毎日芋ばっかり食ってたからもういいって言ってたが、燃料用となれば今のよりマズい芋だったんだろなぁ…
デンプンが取れれば良いものでしたので極端な話、片栗粉に少量(糖度にして3%くらいだったとのこと)の砂糖とギリギリ固まるくらいの水分を入れたものが近いかもしれません。勿論、美味しくないです。
うちの亡くなった祖父もよく言ってました。サツマイモと言っても別物だとも。すいとんも散々食べたのと、当時のは粉も汁も味気なくて美味しくなかったせいか、嫌いと言ってました。作ってあげたら平成のすいとんは、やっぱり別物だ!って笑懐かしい思い出
@@風見鶏-c8gさん 私の祖母も時々すいとんを作ってくれましたが戦争中は出汁を取るにも煮干しやら鰹節やらが無く、調味料もあまりないので薄い醤油だけの汁のすいとんだったと言っていました。
@@秋月型初月-q3cさん 砂糖の代用品のサッカリンがありました。中学生の頃、頭が悪い佐藤君という子がいたのですが、「お前みたいなおバカは佐藤なんて勿体無いから今日からサッカリンって呼ぶわ」と言っていたを大阪の空襲で命からがら逃げ回った経験のある先生が聞いていて「お前らサッカリンてえらい懐かしいものの名前が出てくるやん」と言って大爆笑していました。
@@sasakkey2635 うちは東京大空襲で焼け出されて着のみ着のままにげた人だったので、祖母と当時1歳半の父とで、敗戦直後はとんでもなく貧乏でしたから余計かもしれません。幸い会社員で会社が社員向けに100軒の木造平屋を建てて社宅として住めたのでなんとかなったようですが。未だにうちの数軒先は当時の家を多少出直しして住んでいる方があります。道路も1間という約2メートルの道路で再建築不可物件多数です。首都圏や都内でもいっぱいありますからね。今のすいとんは具だくさんで美味しいですよね♪
戦争行った経験あるじいちゃん、晩年までずっと畑でサツマイモ育ててたなあ。芋があればなんとかなるからって。
聡明な祖父様でいらっしゃいますね。
Your grandfather is now in the hell, for sure.
なんか心がギュッてなった。切なくもあり、、、優しいおじいさまですね。
芋は米の代わりになりますからね…エネルギーを蓄えられる炭水化物が豊富なので戦中から戦後まで普及していたのでしょうかね…
当時のおばあちゃんは少ない食料の中で工夫しながらこんなに美味しそうな料理を作ってたんだなぁ…
昔見せて貰った写真や祖父母やその友人の話と合わせるとこれでも物凄く上等のご飯ですね、芋蔓をスジを取って食べていたそうです。
今のさつま芋は色々と改良されて甘みがあり美味いけど、戦後の芋は本当に素朴な芋!で美味しいよりお腹が満たされれば味なんて何でも良かったんだろうな…親戚の曾祖母さん、9年前に亡くなったけど101歳だったその人の口癖が「美味しいものを食べられる、今は良き世かな」でした老衰で亡くなったので、亡くなる8日前まで、好物の焼き鮭(週4の朝食のおかず)と蒸しパン(レーズン入り。週3のおやつ)を美味しそうに食べていたそうです
昭和40年代の山口県の周防大島。夏休みの母方のお祖母ちゃん家では、三食漬け物と茶粥が常だった。都会から帰って来たおれたち家族に気を使って、近くの母親の姉夫婦の営む食料品店から差し入れられる魚のはんぺんやクジラのカツに、今夜は大ご馳走じゃのう、とお祖母ちゃん言ってたなあ。
同世代の山口瀬戸内住民です。素敵な話有難う😊
そんな歳でよくこんなところいるね
@@user-touhouどのような年齢でもRUclipsは見ても良いと思いますが。。
で、都会の人を虐めてたの?今の外国人研修生を虐待するかのごとく。遺伝子は変えられないのお(笑)
こんなに質素な食事をしながらも、日本を立て直したおじいちゃん、おばあちゃんたちに感謝していますこれからの日本を守っていくためにも選挙に行きましょう
祖父が「戦時中にたくさん芋食べたからもう芋は食べたくない」て言ってたけど、ご飯にも混ぜてたのかぁ。
なるほど食べすぎてそうなるんだ
しかも今のさつまいもと違って美味しくない品種だから。動画内でも言ってるけど工業用だし
当時の芋は水っぽい何かだったらしいね
成程、好き嫌いが殆ど無いウチの爺さんが芋嫌いな理由も恐らくコレだ。合点がいった、ありがとう。
うちの婆さんは、麦飯が嫌だと言ってました。
8:01あっという間に消えるのは承知だろうけど、それでも気休めだろうが、一時的であっても満腹感が欲しかったんだろうなと思う。
😅😊
単に量を増やすだけならお粥にしてしまう方がいいのだけどそれでは食感がなくなるので楠公飯や国策炊きもやったんだろうな、って印象がします
最近の映像なのに昭和の映像に見える編集技術もすごいですが、実はナレーションのトーク技術がすごい
今朝ドラでもこの頃の話やってますね当時を生きたわけでもないし色々あったからそこに関して僕では可哀想とか感謝とかはあまり感じられないけど、戦争の結末を学ばせていただいたこと、貧しくても生きて日本を残したこと、とても尊敬しています
料理もそうだが服装まで戦後再現してるのがすごい!
前日から出汁をとったり米を炊く前に煎ったり、非常に丁寧に作ってますね。
なんだかとても考えさせられます、食事って時代を写す鏡ですね。
服装も合ってていいです
戦中、戦後の食料不足の頃の食事の再現ってのは中々面白い。飽食の現代では誰も真似する事なんか無いから、エンタメ料理チャンネルのここには割とあってる企画だと思う。
70代ですが、いも飯は全然マシな方だった。 さすがにアワ飯とか稗飯は冷めるとまずかったが、それが普通と思っていた。
実際体験した人の言葉はすごい。
祖母がつけてくれる塩っ辛い梅干し大好きなんだよなぁ。あの梅干し一個あるだけでご飯一膳食べられる。梅干の種の中にある白いとこも割って食べてた。
音質が当時のラジオ放送をイメージしていて芸が細かい!素晴らしい!
梅干しを食べているシーンで、昔よく食べた日の丸弁当を思い出しました。非常にしょっぺぇ梅干しをひと吸いし米をかっこむ。さらに中の実をひと舐めし飯を半分平らげる。沢庵なんか二切れもあれば最高でした。くにが米農家でしたので幸せな思いをさせていただきましたね。
贅沢で豊作な現代に感謝
戦時中疎開を経験した祖母が「ご飯粒残さないの!」って何回も言ってた意味が改めてわかった。
@@bjaumzfiq_hr別に米を大切にすることは今でも悪いことじゃないしアップデートする必要なくね?
@@bjaumzfiq_hr それ結局お米大事にしてることには変わりない希ガス
久々にこちらのチャンネルの動画を拝見しておりますが、主さんの食レポ形式は初めて観ました。昭和時代のテレビ番組のような質感とメニューの再現、実食されている主さんのコメントの現代感のギャップが良いですね。「しょっぺぇ!w」のところで思わず笑ってしまいました笑
来年で戦後80年になりますね。戦争を誰も知らない時代が、とうとうそこまでやってきてます。過去の過ちを忘れることなく、現代の生活に日々感謝。
過ちという表現がまさに戦争を知らない世代の代表のように感じます歴史を知りどうか先人を蔑ろにせぬよう生きたいですね
国民を飢えさせ、土地財産を焦土にされながら戦争を続け、アメリカの保護国に落ちぶれた過去は過ちだと思います。
@@JKあかり戦争賛成派でも無い限り「過ち」という表現は適切かと思いますが。
90近い叔母がすいとんは2度と食いたくないと言った理由がわかる気がした
食べたら、色々思い出しちゃうかもしれないですからね。
@@sonezaki1127戦時中のすいとんが食糧不足のせいでまともな食材で作れんからクソまずかったらしい、そのこともあってすいとん=まずい 見ないイメージがついたんじゃないかなぁと
26歳ですが、わたしもすいとんは2度と食べたくないです。お金ないから実家にいた時はよく食べさせられました
うちの父は8人兄弟。農村部だったからまだ食べ物はあったかもしれないけど10人とか12人家族で分け合って食べてたかと思うと本当に大変。
うちの父は9人兄弟の末らしいけど俺が知ってるのは親父を入れて4人しかいないあと5人がどうなったのかは聞けてない
戦争で後継者が居なくなった所に子供を売る
芋とすいとんは貧しい食事の象徴だから嫌だって爺さん婆さんが言ってたな…学校の給食ですいとんが出たって話したら「給食費でそんなもの食べさせてるのか!」って珍しく婆さんが怒ったくらいだから戦前戦後の食事事情はそれだけ辛かったんだなと
けど当時の価値観のまま「給食費でこんなものを」って頭ごなしに否定するのも良くないね
非常に勉強になりました。当時の食事の紹介ありがとうございます。
Genさんの再現シリーズほんとに好き。食レポも上手で見てるだけでも食感が伝わってくるのが良い。
歴史の教科書に載ってないような戦後の食事の調理法…節約して且つ腹を満たせるよう非常によく考えて作られてましたのですね…
介護施設勤務ですが、当時の記録で食糧が足りず入居しているジジババが近隣田畑に盗みに入ったとか、カエル捕まえて塩茹でしたのがよく売れた。といった事を目にすると、いかに現代が恵まれていて同時に物が溢れすぎていて有り難みが薄くなっているのかが身に沁みます。
食の大切さを改めて認識させる素晴らしい動画です😄
これを毎日、下手すりゃこれすら食えないというのは辛い人の歴史は飢えと病気との闘いというが今は恵まれてるなと思った
今でもそうです。現に昨日スーパーマーケットとドラッグストアへ行ったら、米が売場から姿を消していました。従って、昨日から玄米を食べています。
現代の材料で作ってるからまあまあ旨いと思う
もはや高次元に文化的な動画シリーズになってる。凄すぎる。
70年後()この男フライドチキンやらルーローハンやら脂ギッシュな飯をぎょうさん作るのであります。
調理画面になってから80年代ぐらいになって見やすく聞こえやすくなったのはよかった😂再現力高くて素晴らしい👍🏼
切ない気持ちになっちゃうね
桂歌丸師匠が生前「アタシゃサツマイモが食べられないんだよ」と述べられていたそうですが当時のサツマイモはアルコール採取用で不味だったんですねそりゃ歌丸師匠もサツマイモがトラウマになる訳だわ…
ねっとりとした甘~いサツマイモが流通し始めたのもそこまで昔ではないですもんね
戦時中とかの食事再現動画めっちゃ好みだから嬉しい…
少ない材料で丁寧に食事を作っていて働き者の昔の人を尊敬します。
良い動画でした
非常にためになるチャンネルだと思います。しかも凄く興味を引かれる。
考えさせられるなぁ...食材に感謝せねば
ほんとに今の生活の有り難さを感じる動画です。あえてあっけらかんに振る舞うゲンさんが虚しさを助長している。たぶん、狙ってだと思うが
現在がどれだけ美味しく楽しい食事ができてるかっていう勉強になりますね。そして今も昔も変えてはいけないのが食べ物を粗末にしてはいけないっていう事ですね😊
この世界の片隅にっていう漫画ですずさんが料理を工夫して作ってたのが印象深かったな
低画質でしか見れないようにしてるのもこだわってて良い
祖父母の家の自家製梅干しとかも酸っぱいじゃなくてしょっぱい感じだったなぁ…
@@猫は猫-d1h 勝手に殺さんで?
しょっぱくなるくらいじゃ無いと、保存食としては長持ちしないのよ…。
それが本来の梅干しのかくあるべき姿だと言える今のように減塩とか健康に気を遣うことが多いけど、保存などを鑑みたら理に適ってたといえる
夏には塩っぱい梅干しがちょうどいい
この人の手にかかりゃ何でも美味そうに見えちまうんだから困ったもんだ
実際食べてる人がとっても分かりやすい食レポ(?)してくれるお陰でとても勉強になったわ
たまにこんな感じの質素な食事は美味しそうだけどこれを毎日か,,,
てか調味料だってそんなに使えんだろうから想像してるより美味しくないと思うぞ
祖母が、田舎の海の近くの農家やから本当に食べるものがないってことは無かったけど、それでも芋のツルまで食べた。捨てるものはなかったと言っておりました。今は大変贅沢な時代になりましたね。
日本の戦争が終わった本当の年は米穀通帳が廃止になった1981年(昭和56年)だと私は思っています。
すごい最近だったんですね。。私が生まれる数年前。
再現度すご……
昨日この世界の片隅にを見たのでとてもタイムリー
祖父母はサツマイモを食べると『いやぁ、美味しいなぁ……こんなに美味しいのは今まで食べた事ない!』と毎回言ってます。戦後すぐの頃は、ほとんど味のない硬くてゴリゴリした生煮えの煮っころがし ばかり食べていた、と聞かされています。フードロスで騒がれていたり、オシャレで美味しい料理を沢山味わえる平和な時代に生まれたのは幸せですね。
配給だけで闇市使わなかった判事が栄養失調で死んだ時代だっけ
@@猫は猫-d1h死への羽ばたきって蚕の繭を半分に切って育てる実験じゃなかったっけ?俺の知らない死への羽ばたきがあったとしたらスマソ
@@猫は猫-d1h 死への行進なんてのがあるんスね逆にそっち知らないので調べて見ますむしろありがとうございます!
山口判事ね
しょぺーい。が分かりやすく昔の人が塩分が高いのがすごいのがわかりやすかったです。
2:05 『この世界の片隅に』で楠公飯出てきたなー 懐かしい
学校の授業で流してほしい…とても考えさせられた…
戦後直後産まれで北海道・青森育ちの知り合いの方がいますが、保存食としてのイカの塩辛を調味料としても使っていたそうです。というか塩をほとんど塩辛に使うので、塩っけのある物が塩辛しかないという感じだったそう。裕福な方でしたが、じゃがいもと塩辛はもう食いたくないと仰っていました。
覚えておこうって思った。色々ためになる情報が多い。
ホントこれでは1日に必要なビタミンやミネラル等の栄養素が全然足りないな。私の幼少期の頃、戦中戦後を生き抜いた爺様や婆様が甘藷や水団を毛嫌いするのも解る気がする。
まず動物性タンパク質がナシ寄りの皆無ビタミン・ミネラルの少なさは言わずもがな脂質も少ないから皮膚ガッサガサになりそう漁村部ならもっと魚とか食べれただろうけど鉄・カルシウム・ビタミンD、Eがムッッチャ少ないからこの時代の妊婦さんは本当に苦労しただろうな……
いつも美味しいご飯ありがとうございます!感謝
この動画を見ると勉強にもなって尚且つ食欲も湧いてくる
朝飯見て「意外と食えてるやん」って思ったら昼飯で絶望した
これでも食えてる方だからね
ほんとに生きるために、、動くための飯ですよね(´・ω・`)美味しいとかじゃなくてお腹に入れるための飯ですね
動画にコメントしてたくさんのお褒めの言葉をいただけて嬉しいです あなたのチャンネルに満足しています 💐
亡くなった祖父を思い出しました。戦時中の話を全く語らなかったのですが…祖父に戦時中の話を聞いてまとめるという学校の宿題があり話を聞くとさつまいも、かぼちゃ、切り干し大根が本当に大嫌いだと話していました。(中国や沖縄に行ったと父からは聞きましたが、詳しい話は一切しなかったです)反動か、牛肉を70過ぎてもりもりもり食べてましたね😂亡くなるまで鳥を愛でたり、庭木を管理したり、盆栽や菊をお世話したりしていました。父のおかげで金銭面で食うに困らず、穏やかに過ごして天寿を全うできたので、それでよかったと家族で話したのを思い出しました。
映像の雰囲気が時代に合わせた感じで感動、解説もあって楽しく拝見できます。チャンネル登録と言い値しました
シベリア抑留経験者の祖父は米一粒を残すと烈火の如く怒ってたな。
人糞洗って消化しきれなかった物や死んだ仲間の肉を食べなくては生き残れない人達でしたからね。。
この食生活、とても惹かれる
あれを喜んで召し上がる楠木公は、本物の豪傑じゃったんじゃねぇ。
大東亜戦争世代の祖父、祖母に可愛がれ育ちました。芋は焚き火で焼いてたな。懐かしいです。麦飯、白米、さつま芋で炊いた御飯は幼き頃よく食べました。梅干しは十数年ものだと、まわりにゼラチン質の物が付きますよね!
この時期の食事、本当に日々を生きるための食事だな
陳腐な感想だけどうまいもんを手軽に食える時代に感謝……
お手を合わせて、合掌…
なんでも当たり前じゃないよね
とにかく=感謝=だよね
いや今でも食べれないんすよ
これ、あくまでも戦争末期とか敗戦後だからな。
食事が美味しいって幸せだな
「この世界の片隅に」の再現レシピですね
当時の方々の苦労がみてとれます
ご先祖さまに感謝。
大変な時代を生き抜いて、ここまで日本を復興させてきた。
@@user_ca_mist
アメリカは他国に核落としたのに……
大正昭和1桁生まれを「ご先祖様」扱いは違和感しかない。
いろんな時代を乗り越えてきたけど地球は終わります。
まず人類がな
復興→高度経済成長→バブル崩壊→失われた30年→衰退と治安崩壊(今ココ)
あえて低画質なところにこだわりを感じられます
「今日なに食べよっかな~」と悩むのが出来る事に感謝したくなりますね
物が少ないなか、少しでも美味いものを苦労されたレシピだと思います。
それを否定することなく、カロリーとレパートリーの少なさに言及する構成がとても誠実だと思いました。
終戦当時30代だった祖母(都内出身)が度々話していましたが、
昭和20年は戦前戦後問わず、
「飯を炊こうにも燃料がないので常にトロ火だったので
生焼け生煮えだった」
「麦飯すらぜいたく品」
「黍やイモばかりでイモも甘くない品種」
「イモすらなくてイモ殻が主食の時が半分以上」
「煮干しや鰹節も入手できず塩で汁を作っていた」
そうです。
昭和21年後半期になると多少マシになってきたとか。
うちの田舎のおばあちゃんは実家が農家で、
「戦争の時は家で育ててた鶏が毎週のように食卓に上がってたから、今でも鶏が苦手」
っていってたから、何でも食べ過ぎると苦手になるんだろうな。きっと。
@@イワシの埋葬当時の凄惨な思い出も相まっての嫌だろうから
ただただ食べ過ぎたから嫌とはまた程度が違うでしょうね。
当時は家で鶏絞めてたからって言うのもあるのかな。。うちの母、子どもの頃祖父が飼ってる鶏を生きたまま首落としてたのを見させられて、羽をむしるのを手伝わせられてたから鶏は食べられないと言いいます。
@@イワシの埋葬都会から見ると無茶苦茶贅沢なんだろうけど、いざ毎日となるとつらいのかも。それとすでに書かれているように、農家の場合育てていた鳥だろうから、別の意味で抵抗あったのかもね。
私の祖父母がまさにこれ!空襲後
千葉に歩いて逃げて、当時祖父が勤めていた会社が100軒の木造平屋を建てたとこに入れた。地元の農家の人に物々交換で分けてもらったことはよくあって、幼稚園児くらいだった父はいつもくっついていっていたらしい。たまに味噌焼きおにぎりをくれることがあって、最高に美味しかったと父は言ってます。
口に入る物があるだけマシな時代ですね。不忍池で祖父と父でおにぎりを食べていたら、当時のホームレスの方達にちょっと離れた所から、ずーっとガン見されてて怖かった話もしてます。
げんさんの再現動画シリーズは、教材や研究レポートとして提出できると思えるくらい貴重な努力の賜物ものだと思う。
これを見ると当時は食事を楽しむというより限られた食料でなんとかカロリーを摂取するための作業だったのかなと思った。
戦時中の食事情を探る本をいくらか読みましたが、野草すら取り尽くすような状況でも食べられる程度に味をよくしようという工夫はなされていました。ですから、食い繋ぐというのは当然として、満腹感や味は追求されていたと思います。そうでなければわざわざ煎ったりしないとおもいます。
その時と比べるとこの動画の食事では味噌や煮干しがあるので、もしかすると相対的に相当美味しく感じていたのかもしれません。
悲惨であったことには変わりませんが。
ところで、配給物資が砂糖に偏っていたので砂糖をどうにか食事にしようという試みもあったようです
ゴミの混ざった残飯を煮込んだ物を食えれば御の字の時もありますからね。餓死者も大量に出たそうですから。
多分、当時で食を楽しむなんて言ったら殴られると思うよ…こんなに食べれるのは裕福なとこだけで、他の人は以下だからね…
ダイエット中で食べる度に「太るかなー」とか思って食事を楽しんでなかったけど、平和な現代に感謝して美味しく頂こうと思いました...
多様な商品を手持ちのお金ですぐ買える、
それを明るい部屋で、盗られる心配も無く温かい物を食べれる
お腹いっぱい食べれる
この当たり前が無かったほんの過去の時代
もうね…私達はこの当たり前を守っていかないといけないね。
繰り返しちゃいけない歴史だ…。
泣いて苦しい時代を過ごしてきた方々の努力を無下にしちゃダメだ。
この動画でものすごく痛感した。
ありがとうございます。
終戦記念日にまた観たいです。
全ての食べ物を生産してくださっている方々に感謝しつつ、
最近は特に日本の食料自給率が心配…
不味いんだろうけど、どんな所でも育つ芋くんの功績たるや…
薩摩芋普及させた青木昆陽先生にも感謝
@@gtsorzサンキュー青木
@@miengelion後の世にこんなにゆる〜く感謝されるとは昆陽先生も思わなかっただろうな
あおきんありがと
@@ntakeuti2187しかも敵国の言葉でな
俺「晩飯どーすっかなー、uberでいいか、待ってる間youtubeでも見よ。」
冒頭三分で何とも言えない感情になる。今日はしっかりいただきます、ごちそうさまを言おうと思った。
これから毎日言うんやで
あらら、毎日Uber頼んでそうな無駄遣いおじさんかな。
母方祖父はさつまいも嫌い、父方祖父の口癖は「梅干しあればおかずいらない」でした。こういうことなんだと思います。
私の母親が終戦後生まれです。梅干し、漬物。
これがあればメシ食える世代です。どんなおかずの日でも漬物や梅干し食べますw
@@最強人物かあ
しかもさつまいもは今みたいに甘くなかっただろうしね。
大正3年生まれの亡き祖父は、今のサツマイモは甘いなぁってしみじみ蒸かしただけのサツマイモを食べてましたね。中の色も味も触感も別物らしいです。
@Lachia-xi4ep その時代は日本全土でみんな耐えていた時代ですかね。祖父はすいとんを嫌ってました。散々小麦粉食べたから。私が平成の時代に作ったのはこれは美味しいって、また別物扱いしてましたね。材料も調味料も碌な物が無い時代の記憶は少しだけ上書きされたかもしれません。
戦争経験者のばあちゃんは頑なにサツマイモは食べなかった
よっぽど嫌な思い出があったんだろうなあ
そんで甘いものが大好きでばあちゃんのおでんは甘かった
そんで俺等孫どもには食え食え食えっていろいろ食わせてきた
そう!戦争体験した世代の味付けってめっちゃ甘いんだよね。これでもかっていうくらい砂糖をぶち込む。
甘いものが正義だったんだろうな。
死んだ爺ちゃんの作る大量のザラメが入った卵焼き好きだったなぁ
@@to0606-s4iお前は砂糖食わないの?
実家では毎年終戦の日に醤油味のすいとんを必ず食べます。今でこそ出汁も具もありますが祖母の時代は水と菜葉と川で取れた雑魚と茶色い小麦粉だけで作っていたそうな
そういえば,小学校のときに終戦記念日は戦後の給食っていってすいとんと質素なおかずだけだったな。当時は長野県に住んでいたから,8月の中旬で夏休みが終わってたんだよな…
映画”この世界の片隅に”や参考元のNHKの記録資料で見ましたね。煮干しやコメ、麦の質は相当進歩してるので当時のそれはなかなかのお味だったでしょうね.....
あと、、ホタルの墓やね
米を食べるためにきれいな服を売って
そこからは、、、
カエルも食べるために輸入したという
@@番田那珂たまさんウシガエルが輸入されたし、アメリカザリガニも食用として輸入されましたね。
白米を食べられる今に感謝
だが玄米を好んで(健康の為に)食べる人も増えてる
昔は白米の代わりの為に食べてた玄米の方が白米よりずっと高価という皮肉。
白米が当たり前になると今度は麦飯や雑穀に価値を見出すってのは当時の人達が聞いたらびっくりするだろうな
@@七田谷まあ麦や玄米で脚気の予防ができると分かったのは戦後くらいからだったはず
人によってはこれでも大ご馳走なんだろうな。。。
そうですね羨ましい限りです
親戚や介護のじじばばが兄弟も多くてご飯が食べれるのが幸せって言ってたのは本当なんやな…
@@にょすこり2万じゃ足りないです
今じゃ捨てるほどあるからね
このチャンネルは本当に勉強になる
娯楽として見ているRUclipsで改めて「いただきます」意味を再認識させてもらい、野菜の皮や端材もおいしく食べようと改めて考えさせてもらえる動画ですね
服装もそれっぽくくたびれたシャツなの細かくて好き
筋肉なくて肉付き良すぎだけどねw
そのうち赤紙がきそう
そのうち赤い紙が届きそう
@@月野雫-y4q わかったよ
ありがとうございます!
亡くなった祖父が芋嫌ってたのを思い出した
味の良し悪しとかの問題でなく、戦後しばらくは見るのも嫌になるほど毎日芋ばっかり食ってたからもういいって言ってたが、燃料用となれば今のよりマズい芋だったんだろなぁ…
デンプンが取れれば良いものでしたので極端な話、片栗粉に少量(糖度にして3%くらいだったとのこと)の砂糖とギリギリ固まるくらいの水分を入れたものが近いかもしれません。勿論、美味しくないです。
うちの亡くなった祖父もよく言ってました。サツマイモと言っても別物だとも。
すいとんも散々食べたのと、当時のは粉も汁も味気なくて美味しくなかったせいか、嫌いと言ってました。作ってあげたら平成のすいとんは、やっぱり別物だ!って笑
懐かしい思い出
@@風見鶏-c8gさん 私の祖母も時々すいとんを作ってくれましたが戦争中は出汁を取るにも煮干しやら鰹節やらが無く、調味料もあまりないので薄い醤油だけの汁のすいとんだったと言っていました。
@@秋月型初月-q3cさん 砂糖の代用品のサッカリンがありました。中学生の頃、頭が悪い佐藤君という子がいたのですが、「お前みたいなおバカは佐藤なんて勿体無いから今日からサッカリンって呼ぶわ」と言っていたを大阪の空襲で命からがら逃げ回った経験のある先生が聞いていて「お前らサッカリンてえらい懐かしいものの名前が出てくるやん」と言って大爆笑していました。
@@sasakkey2635 うちは東京大空襲で焼け出されて着のみ着のままにげた人だったので、祖母と当時1歳半の父とで、敗戦直後はとんでもなく貧乏でしたから余計かもしれません。幸い会社員で会社が社員向けに100軒の木造平屋を建てて社宅として住めたのでなんとかなったようですが。未だにうちの数軒先は当時の家を多少出直しして住んでいる方があります。道路も1間という約2メートルの道路で再建築不可物件多数です。首都圏や都内でもいっぱいありますからね。今のすいとんは具だくさんで美味しいですよね♪
戦争行った経験あるじいちゃん、晩年までずっと畑でサツマイモ育ててたなあ。芋があればなんとかなるからって。
聡明な祖父様でいらっしゃいますね。
Your grandfather is now in the hell, for sure.
なんか心がギュッてなった。
切なくもあり、、、優しいおじいさまですね。
芋は米の代わりになりますからね…
エネルギーを蓄えられる炭水化物が豊富なので戦中から戦後まで普及していたのでしょうかね…
当時のおばあちゃんは少ない食料の中で工夫しながらこんなに美味しそうな料理を作ってたんだなぁ…
昔見せて貰った写真や祖父母やその友人の話と合わせると
これでも物凄く上等のご飯ですね、芋蔓をスジを取って食べていたそうです。
今のさつま芋は色々と改良されて甘みがあり美味いけど、戦後の芋は本当に素朴な芋!で美味しいよりお腹が満たされれば味なんて何でも良かったんだろうな…
親戚の曾祖母さん、9年前に亡くなったけど101歳だった
その人の口癖が「美味しいものを食べられる、今は良き世かな」でした
老衰で亡くなったので、亡くなる8日前まで、好物の焼き鮭(週4の朝食のおかず)と蒸しパン(レーズン入り。週3のおやつ)を美味しそうに食べていたそうです
昭和40年代の山口県の周防大島。夏休みの母方のお祖母ちゃん家では、三食漬け物と茶粥が常だった。都会から帰って来たおれたち家族に気を使って、近くの母親の姉夫婦の営む食料品店から差し入れられる魚のはんぺんやクジラのカツに、今夜は大ご馳走じゃのう、とお祖母ちゃん言ってたなあ。
同世代の山口瀬戸内住民です。
素敵な話有難う😊
そんな歳でよくこんなところいるね
@@user-touhouどのような年齢でもRUclipsは見ても良いと思いますが。。
で、都会の人を虐めてたの?今の外国人研修生を虐待するかのごとく。
遺伝子は変えられないのお(笑)
こんなに質素な食事をしながらも、日本を立て直したおじいちゃん、おばあちゃんたちに感謝しています
これからの日本を守っていくためにも選挙に行きましょう
祖父が「戦時中にたくさん芋食べたからもう芋は食べたくない」て言ってたけど、ご飯にも混ぜてたのかぁ。
なるほど食べすぎてそうなるんだ
しかも今のさつまいもと違って美味しくない品種だから。動画内でも言ってるけど工業用だし
当時の芋は水っぽい何かだったらしいね
成程、好き嫌いが殆ど無いウチの爺さんが芋嫌いな理由も恐らくコレだ。
合点がいった、ありがとう。
うちの婆さんは、麦飯が嫌だと言ってました。
8:01
あっという間に消えるのは承知だろうけど、それでも気休めだろうが、一時的であっても満腹感が欲しかったんだろうなと思う。
😅😊
単に量を増やすだけならお粥にしてしまう方がいいのだけど
それでは食感がなくなるので楠公飯や国策炊きもやったんだろうな、って印象がします
最近の映像なのに昭和の映像に見える編集技術もすごいですが、実はナレーションのトーク技術がすごい
今朝ドラでもこの頃の話やってますね
当時を生きたわけでもないし色々あったからそこに関して僕では可哀想とか感謝とかはあまり感じられないけど、戦争の結末を学ばせていただいたこと、貧しくても生きて日本を残したこと、とても尊敬しています
料理もそうだが服装まで戦後再現してるのがすごい!
前日から出汁をとったり米を炊く前に煎ったり、非常に丁寧に作ってますね。
なんだかとても考えさせられます、食事って時代を写す鏡ですね。
服装も合ってていいです
戦中、戦後の食料不足の頃の食事の再現ってのは中々面白い。
飽食の現代では誰も真似する事なんか無いから、エンタメ料理チャンネルのここには割とあってる企画だと思う。
70代ですが、いも飯は全然マシな方だった。 さすがにアワ飯とか稗飯は冷めるとまずかったが、それが普通と思っていた。
実際体験した人の言葉はすごい。
祖母がつけてくれる塩っ辛い梅干し大好きなんだよなぁ。あの梅干し一個あるだけでご飯一膳食べられる。
梅干の種の中にある白いとこも割って食べてた。
音質が当時のラジオ放送をイメージしていて芸が細かい!素晴らしい!
梅干しを食べているシーンで、昔よく食べた日の丸弁当を思い出しました。非常にしょっぺぇ梅干しをひと吸いし米をかっこむ。さらに中の実をひと舐めし飯を半分平らげる。沢庵なんか二切れもあれば最高でした。くにが米農家でしたので幸せな思いをさせていただきましたね。
贅沢で豊作な現代に感謝
戦時中疎開を経験した祖母が「ご飯粒残さないの!」って何回も言ってた意味が改めてわかった。
@@bjaumzfiq_hr
別に米を大切にすることは今でも悪いことじゃないしアップデートする必要なくね?
@@bjaumzfiq_hr
それ結局お米大事にしてることには変わりない希ガス
久々にこちらのチャンネルの動画を拝見しておりますが、主さんの食レポ形式は初めて観ました。
昭和時代のテレビ番組のような質感とメニューの再現、実食されている主さんのコメントの現代感のギャップが良いですね。
「しょっぺぇ!w」のところで思わず笑ってしまいました笑
来年で戦後80年になりますね。
戦争を誰も知らない時代が、とうとうそこまでやってきてます。過去の過ちを忘れることなく、現代の生活に日々感謝。
過ちという表現がまさに戦争を知らない世代の代表のように感じます
歴史を知りどうか先人を蔑ろにせぬよう生きたいですね
国民を飢えさせ、土地財産を焦土にされながら戦争を続け、
アメリカの保護国に落ちぶれた過去は過ちだと思います。
@@JKあかり
戦争賛成派でも無い限り「過ち」という表現は適切かと思いますが。
90近い叔母がすいとんは2度と食いたくないと言った理由がわかる気がした
食べたら、色々思い出しちゃうかもしれないですからね。
@@sonezaki1127戦時中のすいとんが食糧不足のせいでまともな食材で作れんからクソまずかったらしい、そのこともあってすいとん=まずい 見ないイメージがついたんじゃないかなぁと
26歳ですが、わたしもすいとんは
2度と食べたくないです。お金ないから実家にいた時はよく食べさせられました
うちの父は8人兄弟。農村部だったからまだ食べ物はあったかもしれないけど10人とか12人家族で分け合って食べてたかと思うと本当に大変。
うちの父は9人兄弟の末らしいけど俺が知ってるのは親父を入れて4人しかいない
あと5人がどうなったのかは聞けてない
戦争で後継者が居なくなった所に子供を売る
芋とすいとんは貧しい食事の象徴だから嫌だって爺さん婆さんが言ってたな…
学校の給食ですいとんが出たって話したら「給食費でそんなもの食べさせてるのか!」って珍しく婆さんが怒ったくらいだから戦前戦後の食事事情はそれだけ辛かったんだなと
けど当時の価値観のまま「給食費でこんなものを」って頭ごなしに否定するのも良くないね
非常に勉強になりました。当時の食事の紹介ありがとうございます。
Genさんの再現シリーズほんとに好き。食レポも上手で見てるだけでも食感が伝わってくるのが良い。
歴史の教科書に載ってないような戦後の食事の調理法…節約して且つ腹を満たせるよう非常によく考えて作られてましたのですね…
介護施設勤務ですが、当時の記録で食糧が足りず入居しているジジババが近隣田畑に盗みに入ったとか、カエル捕まえて塩茹でしたのがよく売れた。
といった事を目にすると、いかに現代が恵まれていて同時に物が溢れすぎていて有り難みが薄くなっているのかが身に沁みます。
食の大切さを改めて認識させる素晴らしい動画です😄
これを毎日、下手すりゃこれすら食えないというのは辛い
人の歴史は飢えと病気との闘いというが今は恵まれてるなと思った
今でもそうです。
現に昨日スーパーマーケットとドラッグストアへ行ったら、米が売場から姿を消していました。
従って、昨日から玄米を食べています。
現代の材料で作ってるからまあまあ旨いと思う
もはや高次元に文化的な動画シリーズになってる。凄すぎる。
70年後()この男フライドチキンやらルーローハンやら脂ギッシュな飯をぎょうさん作るのであります。
調理画面になってから80年代ぐらいになって見やすく聞こえやすくなったのはよかった😂再現力高くて素晴らしい👍🏼
切ない気持ちになっちゃうね
桂歌丸師匠が生前「アタシゃサツマイモが食べられないんだよ」と述べられていたそうですが
当時のサツマイモはアルコール採取用で不味だったんですね
そりゃ歌丸師匠もサツマイモがトラウマになる訳だわ…
ねっとりとした甘~いサツマイモが流通し始めたのもそこまで昔ではないですもんね
戦時中とかの食事再現動画めっちゃ好みだから嬉しい…
少ない材料で丁寧に食事を作っていて働き者の昔の人を尊敬します。
良い動画でした
非常にためになるチャンネルだと思います。
しかも凄く興味を引かれる。
考えさせられるなぁ...食材に感謝せねば
ほんとに今の生活の有り難さを感じる動画です。
あえてあっけらかんに振る舞うゲンさんが虚しさを助長している。たぶん、狙ってだと思うが
現在がどれだけ美味しく楽しい食事ができてるかっていう勉強になりますね。
そして今も昔も変えてはいけないのが食べ物を粗末にしてはいけないっていう事ですね😊
この世界の片隅にっていう漫画ですずさんが料理を工夫して作ってたのが印象深かったな
低画質でしか見れないようにしてるのもこだわってて良い
祖父母の家の自家製梅干しとかも酸っぱいじゃなくてしょっぱい感じだったなぁ…
@@猫は猫-d1h 勝手に殺さんで?
しょっぱくなるくらいじゃ無いと、保存食としては長持ちしないのよ…。
それが本来の梅干しのかくあるべき姿だと言える
今のように減塩とか健康に気を遣うことが多いけど、保存などを鑑みたら理に適ってたといえる
夏には塩っぱい梅干しがちょうどいい
この人の手にかかりゃ何でも美味そうに見えちまうんだから困ったもんだ
実際食べてる人がとっても分かりやすい食レポ(?)してくれるお陰でとても勉強になったわ
たまにこんな感じの質素な食事は美味しそうだけどこれを毎日か,,,
てか調味料だってそんなに使えんだろうから想像してるより美味しくないと思うぞ
祖母が、田舎の海の近くの農家やから本当に食べるものがないってことは無かったけど、それでも芋のツルまで食べた。捨てるものはなかったと言っておりました。
今は大変贅沢な時代になりましたね。
日本の戦争が終わった本当の年は米穀通帳が廃止になった1981年(昭和56年)だと私は思っています。
すごい最近だったんですね。。私が生まれる数年前。
再現度すご……
昨日この世界の片隅にを見たのでとてもタイムリー
祖父母はサツマイモを食べると『いやぁ、美味しいなぁ……こんなに美味しいのは今まで食べた事ない!』と毎回言ってます。
戦後すぐの頃は、ほとんど味のない硬くてゴリゴリした生煮えの煮っころがし ばかり食べていた、と聞かされています。
フードロスで騒がれていたり、オシャレで美味しい料理を沢山味わえる平和な時代に生まれたのは幸せですね。
配給だけで闇市使わなかった判事が栄養失調で死んだ時代だっけ
@@猫は猫-d1h
死への羽ばたきって蚕の繭を半分に切って育てる実験じゃなかったっけ?俺の知らない死への羽ばたきがあったとしたらスマソ
@@猫は猫-d1h
死への行進なんてのがあるんスね逆にそっち知らないので調べて見ます
むしろありがとうございます!
山口判事ね
しょぺーい。が分かりやすく昔の人が塩分が高いのがすごいのがわかりやすかったです。
2:05 『この世界の片隅に』で楠公飯出てきたなー 懐かしい
学校の授業で流してほしい…とても考えさせられた…
戦後直後産まれで北海道・青森育ちの知り合いの方がいますが、
保存食としてのイカの塩辛を調味料としても使っていたそうです。
というか塩をほとんど塩辛に使うので、塩っけのある物が塩辛しかないという感じだったそう。
裕福な方でしたが、じゃがいもと塩辛はもう食いたくないと仰っていました。
覚えておこうって思った。
色々ためになる情報が多い。
ホントこれでは1日に必要なビタミンやミネラル等の栄養素が全然足りないな。
私の幼少期の頃、戦中戦後を生き抜いた爺様や婆様が甘藷や水団を毛嫌いするのも解る気がする。
まず動物性タンパク質がナシ寄りの皆無
ビタミン・ミネラルの少なさは言わずもがな脂質も少ないから皮膚ガッサガサになりそう
漁村部ならもっと魚とか食べれただろうけど鉄・カルシウム・ビタミンD、Eがムッッチャ少ないからこの時代の妊婦さんは本当に苦労しただろうな……
いつも美味しいご飯ありがとうございます!感謝
この動画を見ると勉強にもなって尚且つ食欲も湧いてくる
朝飯見て「意外と食えてるやん」って思ったら昼飯で絶望した
これでも食えてる方だからね
ほんとに生きるために、、動くための飯ですよね(´・ω・`)
美味しいとかじゃなくて
お腹に入れるための飯ですね
動画にコメントしてたくさんのお褒めの言葉をいただけて嬉しいです あなたのチャンネルに満足しています 💐
亡くなった祖父を思い出しました。
戦時中の話を全く語らなかったのですが…祖父に戦時中の話を聞いてまとめるという学校の宿題があり話を聞くと
さつまいも、かぼちゃ、切り干し大根が本当に大嫌いだと話していました。(中国や沖縄に行ったと父からは聞きましたが、詳しい話は一切しなかったです)
反動か、牛肉を70過ぎてもりもりもり食べてましたね😂
亡くなるまで鳥を愛でたり、庭木を管理したり、盆栽や菊をお世話したりしていました。
父のおかげで金銭面で食うに困らず、穏やかに過ごして天寿を全うできたので、それでよかったと家族で話したのを思い出しました。
映像の雰囲気が時代に合わせた感じで感動、解説もあって楽しく拝見できます。チャンネル登録と言い値しました
シベリア抑留経験者の祖父は米一粒を残すと烈火の如く怒ってたな。
人糞洗って消化しきれなかった物や死んだ仲間の肉を食べなくては生き残れない人達でしたからね。。
この食生活、とても惹かれる
あれを喜んで召し上がる楠木公は、本物の豪傑じゃったんじゃねぇ。
大東亜戦争世代の祖父、祖母に可愛がれ育ちました。芋は焚き火で焼いてたな。懐かしいです。麦飯、白米、さつま芋で炊いた御飯は幼き頃よく食べました。梅干しは十数年ものだと、まわりにゼラチン質の物が付きますよね!